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2008年4月29日 (火)

実録 連合赤軍 あさま山荘への道程 映画によって彼らを総括しているのか?

テアトル新宿 218席の劇場は、午前11時だというのに、満席。しかも3時間超えるからだろうか、料金は2千円。(ならば、千円の映画とかもやっているのでしょうか。この劇場は?)

それにしても、力作でした。3時間10分なんか、あっと言う間でした。すこしもだれることがない。まったく疲れをしらない映画でした。

私は、この時代に何があったのかは、何も知らない。生まれたのも1967年だったから。よく先輩から聞いたことがある。「あの時代は、学生同士でよくこんな話あったよ。君はベトナム戦争をどう思う。戦線から遠く離れているけれど、日本も加担しているんだよ。」当時の話はよくわからないけれど、この話を聞くとすこし緊張が走る。彼らは、自らで世界を変えていきたかったのだろうか。

坂本竜馬のようになりたかったのでしょうか。

少なくとも、世界に疑問を感じ、正していきたいと思っていたみたいだ。ただし、その行動は次第に過激になっていき、敵を敵としてはっきりさせて、果ては自分たちの同志さえも、総括の名のもとにリンチを加え、殺していく。

関連する映画として、「光の雨」があるが、こちらも見ている。

両者は、同じだとおもっている。それはいろいろと言いたいことはあるようですが、実際映画を見た観客としては、客観的に同じだ。

高橋判明も映画つくりをやめるつもりで作ったと言っている。こちらは、連合赤軍がどうだというゆうより、焦点を山岳アジトでの総括においている。若松孝二は、どうも作り方が「メイキングをつくっているようだ」と気に入らないみたいだが、僕はそうはおもわない。たしかに、光の雨は、大杉蓮ふんする監督が途中で失踪する。かつて自分も活動していたが、途中逃げてしまったこと。そして逃げていなかったから、彼らと同じようになっていたということ。明らかに、現代から過去の事態を向き合おうとしているが、映画の中でさえ、彼は逃げ出してしまうのだ。その話とともに過去の話が映画の中で進んでいく。

このときの、山岳アジトのシーンには両方の映画にも差があるとは思えない。彼らが、なにをおこなってきたかということ。

ただし、山岳アジトのシーンの前に安保闘争からの歴史はわかりやすかった。さらに、その後のあさま山荘の中の描写もすごかった。

あさま山荘の中で、高校生の男の子は「勇気がなかったんだ。僕たちは勇気がなかったんだ。」と叫ぶ。

日本の中で何かを変えようとした人たちが、たどりついた終焉。

でも、その後革命運動はなりをひそめてしまっている。

いま、世の中を見回すと、富裕層の2割の人が、8割のお金をもっている。

バブル崩壊を迎えて以降、勝ち組と負け組のはっきりする世の中で、中流層といわれる人々が姿を消したと思われる。(みゅうは、中流っぽいが。)

ただ、何かを変えてなんておもえる人がどのくらいいるのだろうか?(自分も含めて)

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