« 2008年4月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年5月12日 (月)

人狼 マトリックス むかし好きだった人

題名でよくわからないことを書いてしまいましたが、今回は映画にまつわる私的な話です。この前に書いた中で「人狼」が出てきたのでつい、思いだしてしまったのです。

もう何年も前の話だったけれど、僕は同僚の友達から女の人を紹介されたことがある。その前にも、後にも紹介されたことがあるけれど大抵その場で終わりでした。(おせじでもいい人はあまりいなかった。)

当時若かった(でもないが・・)僕は、とっても話やすく、いやみな人でもなく、明るくて僕好みの人だったので、とてもうれしかった。が、それで逆に緊張してしまった。つまり表面だけの話しかできなかった。(まあ最初はそうだよね。誰でも!)

ただ彼女の方も僕のことを気に入ってくれていて、僕が映画好きだということをわかったみたいで、では最初に映画を見に行こう、ということになった。

僕の好きなジャンルでデートを選んでくれたので、僕は彼女に対して何が見たいか好きな映画を選んでいいよと聞くと、いくつか出て、彼女の選択で最終的にマトリックスにいくことになった。この時に僕は、彼女は映画好きな僕に気をつかっていると思っていたのでした。

彼女とは、本当にその映画を見て、お茶しただけだった。他の友達とみんなで飲みに行ったりしたが、なぜか付き合うことをしなかった。(当時のことを思い出せないが、まるっきりフリーだったのに考えられない!たぶん当時の殺人的な仕事を調整する力と調整しようという余裕がなかったためかな?)

しかし次に彼女を見かけたのが意外な所だった。その1年か2年後かな。

沖浦監督の「人狼」は、公開前に海外でたくさんの賞をもらい、公開している映画館テアトル新宿は、次回の上映を待つ人で外にまで人が並ぶ盛況だった。

その日もやはり混んでいて、前の回の上映中から、次の上映が始まるまで、ロビーをぐるりとまわって、ジグザグに途中折り返し、さらに階段に列をつくっていた。(テアトル新宿をよく行く人はしっていますよね!)

ぼくは次の上映が始まるまでロビーに作られた列で一人並んで待っていると、折り返してきた列の向こう側にその彼女がいたのだ。彼女は一生懸命何かの本を読んでいて(よくみると押井守の関連本!!!)、僕に気がつかないようだ。僕は発作的に、本を読みだし彼女に気付かれないよう下を向いた。僕はだれか一緒にいるかとてもきになったけれど顔をあげることができなかった。劇場の中に入り、席を前方に確保し、振り返ると後ろの方に彼女が座っていた。どうやら一人っぽい。

別に「あ、久し振り」といえばよかったし、「元気!」とでも声をかけることはいくらでもできたはず。別にやましいことはまったくないのに、声が掛けることができなかった。もしかしてやましいことというか、気にいってくれたのに、僕から全く連絡しなくなったことに、バツが悪いというところなのか。

そのまま席を立てずに上映が始まった。

僕は気になって映画に集中にできなかった。

「どうしてこの映画を見に来たのだろうか?」と頭のなかが???だった。よっぽど映画が好きでなければ、この映画を見に来ないだろう。前に僕が映画好きだといってもあまり反応を示さなかったし、ぼくもあまり映画のことは触れなかった(実は前にあまりに映画の話ばかりをして、おんなの子から引かれた過去が僕にはある。)そして、あの時「マトリックス」を見たいと言ったのが、僕に気を使ってでなく、いやそんな僕をわかって選んだのかもしれない。いや彼女も見たかったのだ。そもそも押井守関連に詳しいのだ!(その時に読んでいた本が押井守関連の本であることはわかった)でも、僕に映画好きだとばれたくないためにメジャー好きを装っていたのだ。勝手に上映中に妄想していました(でもどう考えてもいくつかは間違っていないと今でも思う)

さらに、勝手に「彼女も本当は僕に気付いているはずだ!」と思い、やはり、彼女もバツが悪いだけなんだ、と妄想は続いた。

映画が終ったら声をかけに行こうと、決意した。明るくなったら声をかけよう。あれ!!こんなところでどうしたのって。

映画は終わった。エンドロールが終わって劇場は明るくなった。

僕はさりげなくだ、と思いながら席を立って、後ろを振り返ると、彼女がいた席はも空いていた。

いそいでロビーに出たけれど彼女はいなかった。そしてすぐに階段を駆け上がり外に出てを辺りを見回しても彼女の姿はなかった。

彼女も僕の事を気がついていて、先に席を立ったのかわかりません。なぜならそれ以降二度と彼女を見ることはなかったから。

ときどき思い出します。そして自分に問う。

とっても好きだったのに、なにもせずに逢わなくなったなったのはなぜだろうか?僕は自分の恋愛は不思議なことが多い。(だれしもかもしれないが)

まあ、単に縁がなかったのかな。と片づけるのは簡単だけれど。

きっと縁をつけるだけの力が当時なかったのでしょうね。前のもちょっと引きずっていたみたいだし。

まあ、そんなことを思い出したのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

秒速5センチメートル 塚本晋也との共通性?

さて、「秒速5センチメートル」を見ました。WOWOW放送で、新海誠さんの特集をやっていたためです。

僕は、「ほしのこえ」の時から注目しておりました。宮崎、押井、今野、大友に続く(その他にも杉本キサブローや、りんたろうがいるが、)、日本が誇る世界のアニメーターが誕生したと。

前作の「雲の向こう、約束の地」の世界観に圧倒され確信した気がします。(この作品もすごいのに、あまり世間で評価されていないというか、一般的に知られていないというか、なんといっても「ハウルの動く城」を抑えて毎日アニメ賞をとったのですよ!)

前作は、創造された現代の話、北海道が独立してそこの建てられた、どこから見ても見えるものすごく高い塔をめぐる、中学生から高校生にかけての男子二人、女子一名の青春SF物語。

北海道を目の前にした津軽の空の青さ、緑の草、駅の廃墟、朽ち果てそうな倉庫、その向こうに見える海と白く天まで届きそうな白い塔。その中で秘密に作っている飛行機。

女の子は、その飛行機で海の向こうの北海道に連れて行ってという。

その約束をしたのちに女の子は起きることない眠りについてしまい男たちの前から姿を消す。といった内容でしたね。

こちらもすごく叙情派でした。

今回見た「秒速5センチメートル」は、もっと創造部分を排除してリアルに近付けていました。基本は山崎まさよしの「ワンモアタイム、ワンモアチャンス」を主題歌として、その歌の世界に大きくインスパイアされている感じでした。ストーリは大きく3つにわかれており、主人公の男の子と、女の子が小学校を卒業すると同時に、女の子が栃木に親の転勤で桜散る中、踏切で別れ、中学に入ってから文通を続けていたが、今度は次の年の3月に男の子が親の転勤で種が島に行くことになり、男の子は引っ越す前に、一度会おうという。しかしまだ寒い3月。東京から栃木に行く電車は、雪で大幅に遅れてしまう。3時間も遅れて着いた駅には彼女はまだ待っていた・・・。でも男の子は、もうこれからは会えないのだろうという感覚を知ってしまった。という第一話。

第2話は、男の子が種子島についてからの高校の話。今度目線は男の子に憧れる同一クラスの女の子の話になる。東京から来た男の子はクールでやさしいが、どうしても怖くて好きと言えない。それでも自分にやさしくしてくれるのだから、可能性があるかもと思っている。でもある日男の子は、やさしいだけで、彼の胸の中には、自分がいないことを知ってしまう。その心をしったとき、種子島から何年か振りのロケットが発射され、彼らの上の大空を突き抜けていく。

第三話は、男の子が大人になってからの話。会社を辞めた男の子は、三年つきあっていた女の子から「あなたとは千通のメールをしたけれど、心は1センチしか近づいていない。」とメールをもらう。そんなとき、かつての踏切で、忘れられぬ彼女とすれ違うが、振り返ることができず、振り返った時には、踏切に上り電車、下り電車が通っていた。

という、すごくベタな話なのですが、ワンシーンワンシーンに力があり、すごく感情移入できてしまうのだ。(これはもしかしてみた人の気持ちによって違うと思いますが少なくとも私は感情移入してしまった)

恋愛の多い少ないは人によってあるかもしれないが、主役の男子が引きづりすぎという人がいるかも知れない。ただ心の感情をうまく、風景の中に同化する力が演出の中にあるのである。これがないとただのベタな演出になる。前回は創造+リアルに凝っていたが、今回はリアルと中心とした心象風景を形造っている。

なにしろ描写がリアルで、教室、夕方、廊下、さくら、雪、電車、踏切、副都心高層ビル。海、雲、50ccオートバイ、ロケットなどなど。

ひとつだけ、リアルでないのが、人の顔である。

顔はアニメ顔なのだ。なんというか、押井守の作品のような、今敏の作品のような、大友克洋の作品ような、すこしリアルに近づいた顔でなぜないのか。ここも考えてみたが、リアルすぎてしまうからかもしれない。ある意味映画は夢である。特にアニメの場合はそうなのかもしれない。リアルすぎてはいけない。(人狼は別だが)

でも主役の男の子の声が水橋研二さんの声でこれがすごくいい!!まさに水橋研二にぴったりである。

今回初めてハイビジョンで見たのですが、やはり景色が目にしみる。

また、この作家エンドクレジットを見ると恐ろしい。

制作、監督、演出、脚本、絵コンテ、撮影、編集、動画、背景、色彩設計とすべての項目に名を連ねている。普通は監督としては、プロジェクトマネジャーとなり、自分色の作品の指示だけをして、あとは担当に任せ、全体の統一性を見ていくといった部分なのですが、すべての部分で名をだしているということは、細かい部分まで自分でなければ納得できないのでしょうね。まあ宮崎駿も、監督になっても肝心なところは自分で動画を書いていたとききます。ただ、いろいろチェックをするだけにしてしまった方がいろんなところに目がいくようになるし、たくさん作品が作れるような気がするけれどな。

こんなクレジットをみるのは、よく塚本晋也監督の作品に多いですね。まあ二人ともインディペンデントの作家出身だからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年7月 »